【日記】バケモノの子に号泣! 熊徹の真の愛情をあらすじと感想から紹介してみます


やっと観に行ってきました「バケモノの子」。

冷静な娘二人をよそめに、またもや泣いてしまいました。

いつも映画を見る前に、まったく予習をしないことにしていますが、

こんなに感動してしまうとは…。

 

バケモノの子として暮らすことになった九太

以下、あらすじです。ネタバレにはご注意下さいね。

両親が離婚し、交通事故で母もなくし、親戚に引き取られることを拒んで渋谷の街に飛び出した少年・蓮は、「渋天街」のバケモノ・熊徹と出会います。

言葉も荒く、態度も横柄な熊徹に最初こそ拒否反応を示していた蓮でしたが、熊徹の弟子となり、渋天街で九太として暮らし始める道を選びます。

実はこの渋天街。街を取りまとめる「宗師」が高齢のため、引退して神になる予定になっていて、その後継者を誰にするかということで話題はもちきりとなっていました。

候補の一人は、猪王山(いおうぜん)。

ちなみに、予習なしの私は映画の間中「ようぜん」と聞こえていて、どんな字を書くんだろうと思っていました(笑)。

名前を見てしっくり。猪顔のバケモノでしたからね。

この猪王山は、武術の腕も一流、そして品もある人格者、いや人ではありませんが、とにかくかっこいいバケモノなんです。

私も、どう見ても、物語の中身を抜きにするなら、猪王山が宗師だなと思いました。

そしてもう1人の候補者が、熊徹です。

しかし、その条件として宗師に言われたのが弟子をとること。そんなこともあって、九太を弟子にしたわけですね。

 

違う世界を見て将来を悩む九太

渋天街で修業を積んで8年。一人前の武術の使い手へと成長した九太は、渋谷の街へ戻る方法を知り、そこで高校生・楓に出会います。

字も読めなかった九太は、楓からさまざまな勉強を教わり、高校卒業認定試験を受けようとするまでに至ります。

 

しかし、密かに人間界に行っていたことが熊徹にばれてしまい、人間界で勉強したいという気持ちを伝えるも、もちろん熊徹には拒否され、渋天街を飛び出してしまった九太。

 

そんな不安な気持ちを抱えたままの熊徹でしたが、いよいよ宗師の座をかけた猪王山との戦いの日となります。

途中まではやられっぱなしの熊徹でしたが、九太の声に励まされ、猪王山を倒し、勝利を収めます。

 

真の親子の絆が黒い闇に勝つ

しかし、その喜びも束の間、父の敗戦で怒り狂った猪王山の息子・一郎彦が念動力を使い刀で熊徹を刺してしまったのです。

これには、ただ父の負けを悔しがってということ以外に、大きな理由がありました。

実は、人間界で捨て子として捨てられていた一郎彦を、猪王山がバケモノの子として育てていたのでした。

しかし、成長するにつれ、バケモノのように牙が生えてくるわけでもなく、鼻が伸びるわけでもなく、尊敬すべき父と「実は自分は父の子供ではないのではないか」という気持ちの間で、心に闇の部分を募らせていったのでしょう。

幸い、熊徹は命をとりとめますが、一郎彦の心の闇は大きな怒りとなって、人間界を破壊し始めます。

自分の心にも闇があることを知っていた九太は、その自分の闇の中に一郎彦を吸い込んでしまい、自分もろとも命を絶つことでこのことを終わりにしようと試みます。

一方、熊徹は宗師に願い出て、自らが付喪神(つくもがみ)となり、刀に姿を変えます。

そして九太の心の闇を熊徹の刀で埋め、その刀を心に持つことで一郎彦の攻撃を収束させていくことに成功します。

最後、九太は蓮として人間界で父と暮らしていくことを選んだのでした。

 

真の愛情に涙

やはり、感動したのは、熊徹が付喪神となり刀に姿を変えるところです。

バケモノの寿命がどれくらいなのかわかりませんが、子供のように育ててきた九太のために自分の生を捨てる熊徹。

この映画の監督である細田守氏がこう言っています。

「私たちは、家族のあたらしいあり方を模索しなければならない瀬戸際に立たされています。新しい子供たちは何を道しるべに成長すればよいのか。

またあたらしい大人である私たちは、子供たちにどんな姿を見せ、

何を手渡してあげられるのか。

この映画を通して共に考えていけたらと思っています。」

自分の子供でもない九太を身を持って守り炊いた熊徹は、血のつながりはなくても、その姿は「父親」以外の何物でもありません。

自分を犠牲にしても愛する者を守り抜くというのが、真の親子の姿なんでしょうが、そここそが細田監督の伝えたいところだったのではないでしょうか。

 

親にとっても子にとっても、得るものの多いお話です。

夏休みにぜひ多くの人に観てもらいたいですね。

 

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