松野明美が子供がダウン症だと公表した理由!両親からの愛を息子に返しているのかもしれない


いつも元気な松野明美さん。

その明るい表情からは、病気の子を持つ母の苦労など微塵もうかがえません。

でもその明るさの裏で、実は波乱万丈な半生を送って来られたことが、7月31日(金)放送の金スマで紹介されるようです。

 

松野明美プロフィール

【本名】前田明美
【生年月日】1968年4月27日(47歳)
【出生地】熊本県

ダウン症の子供が誕生するまで

熊本出身の松野さんは、2001年、母校・鹿本高校の先輩であるご主人・真治さんとご結婚。

そして2002年、長男・輝仁(きらと)くんが生まれ、そのまた翌年に、次男・健太郎くんが誕生しています。

輝仁くんの出産には丸一日かかったそうですが、翌年生まれた健太郎くんの時は6時間での出産だったとのこと。

でも、健太郎くんを妊娠していた8ヶ月の時「健太郎くんの心臓に病気がある」という診断を受けたのでした。

そうやって生まれてきた健太郎くん。 生後10日後には

「お子さんはダウン症です。
心臓の欠陥は、ダウン症の合併症からくるものです」

と告げられてしまったのです。

 

息子の病気という現実からの逃避

自分が陸上で鍛え上げてきた健康体を持っていただけに、まさか自分のような丈夫な人間から病弱な子が生まれるはずはないと思っていたという松野さん。

それも、ただ心臓に疾患があるだけではなく、ダウン症という大元の病気を抱えているという事実を前に、その現実を飲み込めなかったと言います。

 

それから、健太郎くんの子育て生活が始まりました。

心臓に病を持つ子を育てていくということは、想像以上に苛酷なものでしたが、何より苛酷だったのは、自分の心との戦いだったようです。

 

健太郎くんを出産後、すぐに仕事復帰した松野さん。

底抜けに明るいイメージを守るため、実際にはネガティブになっている自分の内面を、他人に悟られないよう、そして何より健太郎くんがダウン症であることを他人に知られないよう、日々過ごしていたと言います。

しかし、高校時代の陸上部の後輩にアドバイスを受け、健太郎くんを児童デイサービス事業所「こじか園」に通わせ始めたことで、健太郎くんにさまざまな変化が起き始めたそうです。

 

アスリートだからこそ苦しんだ公表までの日々

わが子がダウン症であるとわかった時、すんなり受け入れられる親はきっといないと思います。

松野明美さんももちろんそうでした。

現実として生を受けたわが子を、育てて行かなくてはいけないという気持ちは強いのに、

アスリートとして「1番になる」ことだけを目標としてきた松野さんは、息子の成長の遅さを受け入れられない。

「1番」をとるためならどんな努力も惜しんでこなかった松野さんだからこそ、自分がどれだけ手をかけても、どうにもならない健太郎くんのことが歯がゆくて仕方がなかったのだと思います。

しかし、その思いの転換点となったのが「こじか園」での生活でした。

自分のペースで進めていくことでいつしか成長している息子の姿に、「自分のペースで走ることが一番大切」だと気付けたと言います。

これはそれまでの松野さんの人生には存在しない考えでした。

健太郎くんが松野さんの元に生まれてきてくれたことで気付けた真実。

このことをきっかけに、

「障がいをもっていても堂々と前を向いてほしい。
そしてその歩みを助けるような国になってほしい」

という思いで、健太郎くんがダウン症であることを公表し、政治家というわらじもはくことで世の中を自分の手で変える決意をされました。

 

両親から受けた愛が松野明美を成長させた!?

小学校時代はいじめられっ子だった松野さん。5年生の時に出たマラソン大会で優勝し、その時の両親の笑顔が嬉しくて陸上に目覚めたと言います。

それまでは無口だった女の子が明るくなり、お母さんのバイクでの伴走で練習を重ねる日々。

親の笑顔ひとつでこれだけ子供の心に変化を与えられるとは、きっと松野さん親子の関係がとてもいいものだったからに違いありません。

子供の多くは、親にほめられたいという気持ちを持っています。特に幼い頃は、親に認められたい一心でいろんなことが頑張れるのです。

松野さん親子は深い信頼関係があり、それが何事にもまじめな松野さんに作用して、日本の陸上界を牽引する女性ランナーとなれたのでしょう。

そしてその「愛」を、体と心がしっかりと覚えているからこそ、健太郎くんへの愛をまっすぐに向けることができたのだと思うのです。

息子さんへの愛の深さは、松野さんがご両親から受けた愛と比例するものだと思います。

その強さと愛をもって、これからますます活躍してくださることを期待しています。

3 Responses to “松野明美が子供がダウン症だと公表した理由!両親からの愛を息子に返しているのかもしれない”

  1. 入江光広 より:

    なつた者しかわかりませんよ。いきなりで、申し訳ありません40数年間バレ-ボ-ルにたづさわりここ十年間は小学生にボランティアで指導週3回練習し土日曜日は練習試合と家庭を犠牲にし指導してきました。体力には自信がありましたが突然の出来事で左半身麻痺になりまだ受け止める事が出来ません。血圧も低いぐらいで、両親も元気でしたので大丈夫と思ってきましたがまさかの病気になりましたが、もう一度小学生にバレ-ボ-ルを指導したく病院のリハビリ・夜は水中歩行(山鹿鹿北町ゆ-かむ施設)などいろんな事を行っています。本文を読み涙がでます、幼いのに、かわいそうです私も何度か変な事も考えましたが子供が嫁にいくまでは絶対治したいと思い歩き初めています。ともにキセキを信じて頑張りましょう。松野さんと会える日を高校時代に走られたあんずの丘マラソンを思い出します。治して植木jrと練習試合したいです。

    • Beni より:

      このたびは、多く記事の中よりお読み頂きありがとうございます。
      松野さんと同じ熊本にお暮しなんですね。
      この記事は、松野さんのことで、親子の絆の連鎖のようなものを感じ、書かせて頂いた記事でした。
      私にも同じ年頃の子供がいますし、身近にダウン症のお子さんを持った友人もいますので、他人事ではなく、ただこれまで1位を取ることを目標としてきた松野さんの葛藤を考えると、普通の親には想像の及ばないご苦労があったのだろうと拝察しています。
      貴殿もお身体ご自愛ください。
      またバレーの指導に戻られることが叶いますようお祈りしております。

      • 入江光広 より:

        ありがとうございます。キセキと自分を信じリハビリ頑張ります。辛い日々が続きますが、ささいな事でいいです左半身麻痺回復について情報があれば教えてください。

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