苫小牧沖フェリー火災 織田邦彦さんと家族に見る人間のスゴさ!その勇気を決して忘れません


北海道・苫小牧港沖で7月31日に発生したカーフェリーの火災。

乗客、乗組員の中でただ1人行方不明となっていた2等航海士の織田邦彦さんが、船内の車両甲板で亡くなっているのが発見されました。

まだ44歳という働きざかりだった織田さん。その最期の様子を聞くと、船乗りとしての任務を全うしようとした織田さんの姿が思い浮かびます。

苫小牧沖55kmでフェリー火災発生

火災の起きたカーフェリー「さんふらわあ だいせつ」は苫小牧と茨城県大洗を約18~20時間で結ぶ船です。

火災が発生したのは、7月31日17時15分頃。

大洗港を深夜1時45分に出港した「さんふらわあ だいせつ」が、あと55kmほどで苫小牧に到着するというところだったと言います。

火災が起きたのは車両甲板。

乗組員が必死の消火活動を開始したものの、鎮火は難しく、坂上幹郎船長は乗客・乗員全員の退船非難を命じました。

そして、付近を航行中だったフェリーや海上保安庁の巡視船などにより、ただ1人の行方不明者を除き、全員が救助されたのです。

 

その時、織田邦彦航海士は何をしていたのか

行方不明となっていたのは、2等航海士の織田邦彦さん(44)。

海上保安庁特殊救難隊により船内が捜索され、8月3日11時頃、車両甲板で横たわった織田さんが発見されました。すでに亡くなられていたと言います。

退船命令を船長が下した同日午後6時頃、黒煙で方向がわからないというトランシーバーでのやりとりの後、連絡が取れなくなったという織田さん。

その後、乗客やその他の乗組員の救助が無事進む中、約4時間ものあいだ、坂上船長だけが船に残り、織田さんの捜索にあたったそうです。

早い時期での退船命令は英断であり、もう少し判断が遅れれば、2次災害の可能性もあったとか。

自らは、そんな危険に身を置き、部下を助けようとした坂上船長。しかし、織田さんを見つけ出し、その命を救うことはできませんでした。

織田さんの同僚によれば、責任感が強く、何にでも真剣に取り組む人だったという織田さん

常に船の安全航行、乗客の安全を考え、きっと最期の間際も消火活動に必死に取り組み、乗客の安全確保に奔走していたに違いありません。

昨今、ニュースなどで見かけた他国のフェリー事故では、乗客のことより自分の身を優先しようとする船長や乗組員の姿がよく見かけられました。

それを思えば、織田さんはもちろん、坂上船長のとった行動はまさに船乗りのかがみ、人のかがみと呼ぶべきもの。

そう考えると、そんな尊い命が失われてしまったことは、本当に残念で仕方ありません。

父の姿を見て船乗りに…息子もその道を選んだ矢先の不運

テレビのニュースで、広島に住む織田さんのお母様がテレビインタビューに答えておられました。

「お客さんは全員助かっていて、息子は職務を全うしてくれた。
責任感のある子で、それだけは褒めてあげたい」

お母様が涙ながらに語る姿に、言葉がありませんでした。

織田さんはお父様の恒さんも船乗り。奥様と二人のお子さんの4人家族で、中学3年生の長男さんは、商船高校に行き船乗りになることを決めていたと言います。

父と同じ道を織田さんが歩んだように、
息子さんも立派な船乗りとしての織田さんの後姿を見ていたからこそ、将来の自分の仕事に「船乗り」を選んだに違いありません。

きっと織田さんも喜ばれたことでしょうね。

私自身も織田さんと同年代、中学3年の子供がいるので、とても他人事には思えません。

子供が先に逝ってしまうことの辛さを想像すれば、お母様の心の強さに圧倒されます。

まだ将来が楽しみなわが子を遺してっ、無念の旅立ちをしなければならなかった織田さんのことを思うと、どれだけ悔しかったことでしょう。

今は、残されたご遺族が心安らかになられる日が、1日も早く訪れることを願うばかりです。

 

織田さんの命を無駄にしないで!

火災の発生原因はまだ明らかになっていませんが、このカーフェリーは冷凍車も乗船できるようになっており、冷凍機付きのトラック付近から出火していることが明らかになっています。

しかしこのようなトラックは火元付近に3~4台あったらしく、トラックのエンジンを停止後、冷凍機能を維持させるために、専用ケーブルを使ってフェリーから給電していたとのこと。

この電源が一番の火災原因の候補と言われているようです。

織田さんの命を無駄にしないためにも、一刻も早い鎮火と原因究明、そして今後このような悲しい出来事がおきないことを心から祈っています。

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