君島達己【任天堂新社長】のWiki風プロフィールに見る任天堂の未来!はじめの一歩はどう出る?


ゲーム業界をけん引し続ける任天堂の岩田聡社長の急逝から早や2ヶ月。やっと新社長となる方のお名前が発表されました。

新社長は、君島達己(きみしま たつみ)氏。Wiki風プロフィールを作成してみると、その経歴から任天堂の新戦略が見えてくる気がします。

新生任天堂のはじめの一歩やいかに。

新社長は君島達己氏

2000年に当時の任天堂の社長であった山内溥氏に腕を買われ、任天堂に入社した岩田聡氏。

わずか2年後の2002年には社長に就任しました。それまで同族経営を続けていた任天堂が、岩田氏を社長に据えたことはかなりの衝撃でしたが、岩田氏の任天堂からの幕引きも衝撃的なものでした。

2014年に胆管腫瘍が見つかり、一時は仕事にも復帰されましたが、容体が急変。2015年7月11日、惜しまれながらの死となりました。

そして、世の注目を集めていたのは「新社長は誰なのか?」ということ。

ずっと世間が注目していた人事が、9月14日の取締役会で決議されました。

新社長は、君島達己氏。これまで常務及び経営統括本部長と総務本部長、人事本部担当を兼任してきた君島氏が昇格という形となりました。

 

 君島達己のWiki風プロフィール

君島達己氏は、昭和25年4月21日生まれの65歳で東京都出身。一橋大学法学部を卒業されています。

昭和48年に三和銀行に入行され、カリフォルニアやニューヨーク支店で管理職を務められました。

平成12年には任天堂に出向し、株式会社ポケモンの代表取締役に就任。ポケモンはこの年から関連事業をスタートしていますから、君島氏についても、ここからがゲーム業界への転身となるわけですね。

平成13年には三和銀行を退社。いよいよ「任天堂の人」となったわけです。

そして平成14年にアメリカの任天堂取締役に、平成18年には、取締役会長(CEO)に就任されています。

そして平成25年には約10年ぶりに日本に呼び戻された君島氏。

どんな人事の思惑があるのかといろんな噂はたちましたが、岩田前社長の残念な死から2ヶ月、新社長の座についたのは、財務のプロ・君島氏だったわけです。

 

前社長の偉大さは重圧

前社長の岩田聡氏は「天才プログラマー」と言われた人物です。

北海道・札幌に生まれた岩田氏。札幌南高校に通っていた時にヒューレット・パッカードの高機能電卓でゲームを自作し、それをヒューレット・パッカードの代理店に送りつけ、驚愕させたという逸話を残しています。

私の母がちょうど岩田社長と同じ年ですが、高校生の頃の話を聞くと、まだ田舎ではテレビがあるかないかの時代。そんな時にゲームを作るというその発想は、まさに天才としか言いようがありませんね。

その後、HAL研究所にプログラマーとして勤めていた岩田氏でしたが、事業が失敗し倒産。

岩田氏を社長に置くことを条件に、任天堂が支援を行います。そして見事再生したHAL研究所。

支援の手を差し伸べてくれた任天堂・当時の山内社長からのラブコールを受け、岩田氏は任天堂に入社します。

プログラマーとしてはもちろん一流ながら、HAL再建時には事業をゲーム一本に絞ったり、社員全員への懇切丁寧な面接を行うなど、経営者としての才能も発揮。

山内傳氏に同族経営からの脱却を決心させたほどの人物ですから、その才能は誰もが認めるものでした。

 

新生任天堂の未来をその経歴から読み解く

そして、今回の新人事。

銀行出身の財務畑を歩んできた君島氏は、岩田氏とはまったくタイプの異なる人物です。

ゲーム業界の昨今は、一進一退の状況。今や、ゲームは子供だけが楽しむものではなく、子供から大人まで幅広い世代の人たちが楽しむものとなりました。

岩田氏亡き今、その「ゲーム」母体を支えるのは、宮本茂専務と竹田玄洋専務。

スーパーマリオシリーズの生みの親として知られている宮本氏と、任天堂初のゲームデザイナー竹田氏。その二人が、今回は新しく「フェロー」という職に就き、取締役にとどまることになりました。

カリスマ経営者であった山内溥、そしてゲームの天才であり経営にも長けていた岩田聡。

日本が世界に誇る「任天堂」を必死に支え続けてきた社長たちは、あまりにもヒーローすぎました。ここで新社長・君島氏がどんな手腕を発揮するのか。

「金」というものを通して、世間を見てきた君島氏。先を見越してのコストカットなどはお手の物のはずです。

社会を見、世界を見、時代を見、その目に映るものをどう判断し、操っていくのか。その最初の一歩が、内へ踏み入るのか、外へ飛び出すのか。

君島氏の最初の一歩から目が離せません。

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