市瀬朝一の仇討ちとは?犯罪被害者給付金制度のために戦った父親の物語


横浜市鶴見区で起こった理不尽な事件。

ある日突然、一人息子の命を意味もなく奪われた市瀬朝一さん夫妻の話が「アンビリバボー」で語られます。

息子がいまわの際に残した「かたきをとってね」の言葉を胸に、市瀬さんは戦いの人生を歩み続けました。

その敵とは、息子の命を奪った憎き犯人だけではなく、国という大きな存在。その国を相手にどんな戦いを市瀬さんは挑んだのでしょう。

 

市瀬朝一さんを襲った悲劇

昭和41年5月21日の夜、横浜市鶴見区で悲劇は起きました。

市瀬朝一さんの息子・清さんが、自宅へ帰る途中、19歳の工員の少年に腹を刺されたのです。

病院に運ばれた清さんは、処置の甲斐もなく、翌日死亡。

駆けつけた朝一さんの手を握りしめ、

「おやじ、くやしいから、かたきをとってね」

と言ったと言います。

市瀬夫妻にとって一人息子だった清さん。26歳になるまで大切に育てた最愛のわが子は溶接工となり、自分の手足となって働いてくれるほどに、立派な息子に成長していました。

その大切な命が一瞬にして奪われたのです。

清さんと少年は何の面識もなく、動機は、少年が職場の同僚に弱虫だとからかわれたから。馬鹿にされたことが悔しくて、清さんでなくても、女性でも子どもでも誰でも刺してやろうと思っていたのだといいます。

そんな理不尽な供述をした少年は、それまでにも少年院を頻繁に出たり入ったりすることを繰り返しており、裁判当日も薄ら笑いを浮かべ、全く反省の色などなかったそうです。

裁判に立ち会い、犯人を目の当たりにしたことで、市瀬さんは自らの手で同じように刺してやろうかとも考えました。

しかし、市瀬さんが行った仇討ちは国を相手に被害者の補償制度を確立させるという途方もない活動でした。

 

犯罪被害者給付金制度を創設するために

市瀬さんは、自分の息子を失うことで、犯罪の被害者が置かれる立場を否が応でも知ることになりました。

自分の息子が被害者だと言うのに、その裁判の日程すら知らされない。

もちろん、被害者はその裁判の席で話をすることすらできない。

被害者には経済的な支援もない。

なのに、加害者には三食付の生活が保障され、弁護士までつく。

この不条理な社会制度に疑問を持った市瀬さんは、自分が新たな制度を作ることを決意するのです。

そして、事件の翌年1月から、自分たちのような被害者の家庭訪問を始めました。

その半年後には、13の家族を集め、一般の聴衆も300人以上参加する遺族会を開催。

活動開始から半年にしては大きな活動に発展していったわけですが、国はもちろん、世論を動かすまでには至りません。

それでも、市瀬さんは粘り強く、活動を続けました。

関東だけではなく、東北などへも足を延ばし、遺族の訪問を続けたそうです。

時には金のためではないかと非難されることもあったり、自分自身も被害者と加害者のあまりの不公平さを思い知らされ、活動を辞めてしまおうと思ったこともありました。

あまりの激務に失明してしまっても、市瀬さんは決して歩みを止めませんでした。

その原動力は、清さんが残した「かたきをとってね」という言葉だったそうです。

 

やっと国が動いた

昭和49年。丸の内で三菱重工爆破事件が起きます。

企業をねらった無差別テロで、仕掛けられた時限爆弾により、8人の尊い命が奪われ、300人をこえる負傷者が出ました。

この事件を契機として、マスコミも犯罪による被害者にスポットをあてるようになります。

そしてやっと国も重い腰をあげ、それまで犯罪被害者の補償のために奔走していた市瀬さんにも、衆議院の法務委員会で話をする機会が与えられました。

それは昭和50年7月のこと。

清さんが亡くなって、9年の年月が流れていました。

この間、犯罪被害者のために身を粉にしてきた市瀬さんは、過労で心臓をわずらい、入退院を繰り返す生活でした。

それでも、何とか主治医にもう少し生きさせてくれと頼みこみ、活動に奔走していたのです。

しかし、昭和52年1月。法律が日の目を見る前に、市瀬さんはその激動の人生に幕を閉じました。

それから3年後の昭和55年5月。「犯罪被害者等給付金支給法」が制定されたのです。

 

清さん、見ていますか?

理不尽な犯罪は、今でも後を絶ちません。

マスコミでは、毎日のようにいろんな犯罪が報道され、クローズアップされています。

内容によっては、それが社会的に大きく取り上げられることもありますが、マスコミ熱が下がれば、1つの事件などあっという間に忘れ去られてしまいます。

しかし、その犯罪の裏には、必ず被害者、そして遺族がいるのです。

清さんのように命を奪われた被害者には、その悲しみをずっと背負っていかなければならない遺族がいます。

命は何とかながらえても、事件の心身的な後遺症にずっと苦しみ続ける被害者も大勢いるのです。

国の立場は中立のものでなければならないことはわかります。

しかし、国も組織も人が成すもの。法律も人が決めるものです。

だからこそ、そこに少しの人の情も入らないのは、何だか不自然な気がします。

市瀬さんたちの尽力で、何とか現在の被害者補償がありますが、まだまだ不十分なことは否めません。

犯罪がなくならない以上、被害者がさらなる被害を被ることがことがないような社会を望みたいものです。

天国に行った市瀬さんは、再会した清さんとどんな話をしているのでしょう。

「おやじ、ありがとう」

清さんは、きっとそう言って父を出迎えたのではないでしょうか。

市瀬さんと清さんが安らかに眠られることをお祈りしています。

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