君島誉幸(明)と立洋の対立~君島ブランド崩壊問題の裏にあったもの


テレビなどで年齢を感じさせず美しい君島十和子さんを見るたびに、今ではすっかり家庭円満なイメージですが、その昔、連日ワイドショーで報じられた君島ブランド崩壊スキャンダルのことを思い出す方もいるかもしれません。

あの頃、テレビを賑わせた十和子さんの夫・明さんですが、今では君島誉幸(たかゆき)と改名されています。

その誉幸さんと敵対していた君島立洋さんも、今はデザイナー兼社長として活躍されているそうです。

あの騒動から18年が経つ今、「芸能人つまずきビッグデータ」でその真相が明らかになりました。

 

兄・立洋と弟・誉幸(明)との対立の始まり

1970年代、皇族やセレブに愛されていた君島ブランド。

それはデザイナーである君島一郎さんが、一代で築き上げたものでした。

長男の立洋さんが26歳の時、副社長に就任。

しかし、就任からわずか半年。IT会社を設立したいという理由で、立洋さんは退任されました。

もっともそうな理由ですが、実はそこにはもう一つ本当の理由があったのです。

それは、実際に会社に入ってみると、父の一郎さんの愛人の存在が会社にあり、その愛人の元へ商品が流されていたことを知ってしまったんだとか。

そういうスキャンダルに身を置きたくない。そんな理由での退任だったと言います。

そしてその愛人の息子が立洋さんに3歳年下の明さん。現在は改名された誉幸さんです。

元々、皮膚科医だった誉幸さん。

1995年に女優の吉川十和子さんと結婚され、医師を辞められています。

その結婚から1年後 一郎さんが急性心筋梗塞で他界。

お互いに存在を知りつつ、会うことはなかった兄弟が、初めて顔を合わせたのは霊安室だったそうです。

そしてここで「確執」が芽生えたのでした。

 

君島王国の崩壊

一郎さんが亡くなったものの、なかなか葬儀の日程は決まらなかったと言います。

喪主を誰にするか。

兄弟が対立する中、やっと4日後に葬儀が執り行われました。

喪主は本妻の由希子さん。葬儀を取り仕切ったのは長男の立洋さんでした。

誉幸さん側は、分骨も拒否され、葬儀でも親族席ではなく来賓扱い。

しかし、葬儀の後、一郎さんの遺言により会社を任された誉幸さんが取った行動は、本妻の由希子さんをブティックから解雇するというものでした。

しかし、一郎さんの死から1年後経つくらいには、ブティックは次々と閉店。

当時を振り返り、誉幸さんは、創業者としての一郎さんがいなくなったこともこたえたが、洋服を作る人「君島一郎」という存在を失ったことが大きかったと語っています。

一方、立洋さんは、母とユキコキミジマを展開。

結果、誉幸さんが受け継いだ君島は廃業に追いやられました。

 

兄弟の対立の真相

今回の番組で、今なお絶縁状態の兄弟は、これまでに2回しか顔を合わせていないということが明らかになりました。

一度は霊安室。もう一度は家庭裁判所。

満足に話をしたこともないのだと言います。

当時は、マスコミを前に雄弁に日々語っていた兄・立洋さん。

逆に一切を語ることがなかった弟・誉幸さん。

この真逆の対応について、

兄・立洋さんは、とにかく母親を守りたかったと言います。

間違った理解を人々にされるのがいやだったからこそ、自分が矢面に立ってきちんと説明をすることで、母を守りたかったのだそうです。

一方、弟の誉幸さんは、当時50億とも言われる遺産があると言われたものの、かなりの借金もあったのだそう。

プラスの財産はみんなでわけたが、負の遺産についてはすべて誉幸さんがかぶったんだそうです。

誉幸さんには、それを返さないといけないという気持ちが大きく、いろいろと話をすることで信頼を失うことが怖かったと言います。

また、自分は会社も家族も守らなければならなかったと。

しかし、今回の取材で、このマスコミ対応の違いについて、兄・立洋さんは誉幸さんが話してくれれば落ち着くのにと思っていたということが明らかに。

一方、誉幸さんは、マスコミに語るのではなく、直接言ってくれればいいのにと思っていたそうです。

 

18年経って見えてきた真実

兄弟がお互いの存在を父の一郎さんに聞いたのは、20代前半のこと。

お二人ともそれはそれは驚かれたと言います。

本妻の息子である兄の驚きは想像できる気もしますが、内縁の妻の子であった誉幸さんは、それまでよもや自分が婚外子だと思いもしなかったそう。

普通の家とは違って、父親がなかなか家に帰ってこないなということは感じていたが、まさか自分の父親に本妻がいて、そこに子供までいたとは大きな驚きだったそうです。

これは、父親の一郎さんが、ある程度分け隔てなく2つの家庭を見守っていたと言えば聞こえもいいですが、すべては一郎さんの責任。

他人の筆者がそんなふうに思うわけですから、当事者は怒って当然だと思うわけですが、立洋さんは、とにかくやり手だった父・一郎さんのことを「好き嫌いは別にして、尊敬していた」と言います。

一方、誉幸さんは「激しい人だったが悪い印象はない」とのこと。

男としては、ゆがみやねじれは修正できなかったけど、あえてできなかったんだと思うとも語っていました。

あの騒ぎから18年が経ち、今では兄は父と同じデザイナー兼社長という道を母と共に歩み、片や弟は妻と事業の拡大を続けています。

当時のもっと細かいことが気になるスタジオの様子を見て、電話の向こうで質問に答えていた誉幸さんは、

「今更対立するつもりもないし、もういいじゃないですか」

と会場をいさめました。

一方、スタジオに姿は現したものの、終始無言だった兄・立洋さんでしたが、MCの太田光さんは

「今、語るのも語らないのもお互いの思いやり。方法論は違うけど、お互い家族を守るためにやったこと」

と話されていました。

メディアが間に入ると、ついつい意見は極端なものに書き換えられがちですが、このお二人の異母兄弟の間には、思いこそ違え、同じベクトルの家族を思う優しい気持ちがあったのかもしれません。

もし自分が本妻の子の立場なら、立洋さんのように母を守らなければと思っただろうし、ある日、内縁の妻の子と告げられたなら、自分の立場はもちろん、母や結婚したばかりの妻のことを必死で守るに違いありません。

そこにとんでもない額の遺産があったからこそ、メディアのいいエサにされてしまったものの、どちらの立場も本当に辛いものだったでしょう。

あの頃、そして今、天国で一郎さんは何を考えて二つの家庭をみているのでしょうね。

 

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