滝村隆規くん(盛岡市)行方不明から9年!事件なのか事故なのか!?


2007年、岩手県盛岡市で当時7歳だった滝村隆規くんが忽然と姿を消しました。

神隠しとも言われたこの行方不明事件。

何の手がかりもないまま年月だけが流れ、間もなく9年を迎えようとしています。

そんな隆規くんの事件のことを風化させてはならないと、12月28日放送の「公開大捜索スペシャル2015」で隆規くんのことが取り上げられます。

 

滝村隆規くんが行方不明になるまで

滝村隆規くん。

行方不明になった当時、7歳だった隆規くんは、岩手県立みたけ養護学校小学部に通う1年生の男の子でした。

隆規くんはNPO法人六等星にも通っていました。

このNPOは障害者やその家族への支援サービスを行っているところ。

隆規くんが行方不明となった2007年2月5日も、このNPOのスタッフが午前10時半頃に、隆規くんの自宅まで迎えに行っています。

そして21歳の男性スタッフ1人と他の男児2人と散歩に出かけている最中、隆規くんが行方不明になってしまいました。

1人の男児が違う方向に歩き始めてしまい、男性スタッフがあわてて追いかけたものの数分の間に、隆規くんは姿を消してしまったのです。

それが11時40分頃のこと。

スタッフはあわてて事務所に連絡し、捜索を行いますが見つからず、行方不明から1時間後に警察に届け出が出されます。

そして、行方不明の時から間もなく9年。いまだ滝村隆規くんの消息は不明のままです。

 

事故なのか事件なのか?

現場は、北上川の河川敷。

一番に疑われたのは、川に落ちたのではないかという事故説でした。

しかし、行方不明直後から北上川やとなりの雫石川でもボートなどを使っての大規模な捜索が行われましたが、隆規くんは発見されず。

また、人通りがある場所にもかかわらず、川に落ちるのを見た人も、落ちる音を聞いた人もいないことから、「川に落ちた」という説はないだろうと言われています。

また、当日は雪が積もっていたとのこと。川に近づこうとすれば、何かの跡も残るはずです。

それならば、事件なのか?

しかし、前述したように、行方不明になった地点は、人通りもある場所。

北上川にかかる館坂橋という国道が走る橋から、下流に200mほど下った盛岡市前九年1丁目というところが現場で、すぐ近くには県道も走っています。

それなのに、目撃者が1人もいないというのです。

過去にも、隆規くんはこの現場付近でいなくなり、30分後に保護されたことがあったのだとか。

走り回るのが大好きな男の子だったようで、そのことをよく考慮していれば防げたのではないか、といまさらながら悔やまれますね。

 

訴訟事件で和解したものの

隆規くんが行方不明になってから3年後、隆規くんの両親は、NPO六等星と男性スタッフに対し慰謝料を求める訴訟を起こしました。

その額3200万円。

結果、NPO法人が300万円、男性スタッフが180万円、計480万円を隆規くんの両親に支払うことで和解。

条件として、今後も捜索活動を続けるということがあげられました。

行方不明から半年の時、母親が発表した手記の中に、こんな箇所があります。

「どうか皆様の心の片隅に滝村隆規を住まわせてください。

好奇心旺盛でちょっぴり寂しがりやの少年がいたことを、ときどき思い出してください。

関心を持ち続けていただけることが、いつか解決につながると信じています」。

いつになっても消息がつかめない息子を探し続けてもらうために、やはり先立つものが必要だったのかもしれません。

当たり前の訴訟でもあると思います。

NPO側も、1人のスタッフが障害のある児童3人を同時に監視していたのは無理があったことを認めています。

しかし、お金は支払われても隆規くんは戻ってきていません。

何の解決も見ていないのです。

 

今更ながら社会に問題があったのでは…

「公開大捜索スペシャル2015」で、9年前のこの一件について何かしら新情報が得られるのではないかと期待されています。

しかし、当時はいくらかの目撃情報も寄せられたようですが、もうすでに9年もの年月が経ってしまいました。

推し量るに、両親の心の中では隆規くんが行方不明になった時のまま、時間が止まっているに違いありません。

私個人としては、理屈は通ったとしても、NPOに訴訟を起こしたことは少し理解できない部分があるのですが、同じ「親」という立場で考えると、小学1年生というかわいい盛りの子供がある日突然いなくなるなんて、まったく想像できません。

障害があるということで、大変なご苦労もあったと思いますが、その分深い愛情をささげられていたはずです。

私が最近知り合った方に、障害児童が通う学童を設立した方たちがいます。

子供が通える一般校の特別支援学級や養護学校はあっても、長期休暇や放課後に、障害児を預かってくれる学童は極めて少ないそうです。

家計のことを考えたり、また障害を持つ子供と向き合っての毎日に少し変化を持たせたいと、それはそれは大変な手続きを経て、その学童を設立されたと聞きました。

そんな話を思いだすたび、隆規くんの一件も、社会が生んでしまった悲劇のような気がしてなりません。

社会の仕組みがもっと障害児を広く受け止められるものであったなら、NPOにももっと違う運営方法があったかもしれないからです。

とにもかくにも、隆規くんの消息が1日も早くつかめることを心より祈っています。

 

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