横浜高校・藤平尚真は母の思いに応え陸上ではなく野球の道へ


2016年も夏の高校野球が開幕しました。私の住む街からも、バス数十台をつらねて、代表校が出発したことを聞いたりすると、俄然気分が盛り上がってきますね。

そんな今年の夏の甲子園で注目なのは、何と言っても名門・横浜高校の藤平投手。

プロに入っても、数年でエースになれると言わしめるだけの実力の持ち主です。

そんな藤平選手が地元千葉を離れ、神奈川の高校に入学したのには、「陸上」と「母親」に関係があるのだとか。それはいったいどういうことなのでしょうか。

今回は、横浜高校の投手・藤平尚真さんに迫ってみます。

横浜高校・藤平尚真と陸上の関係

藤平尚真選手は千葉県富津市出身。

地元の吉野小学校の1年生の時から野球を始めたと言います。6年生の時には、千葉マリーンズの擁するマリーンズJr.で活躍し、優勝も経験しました。中学も地元の大貫中学に進学し、チームは千葉市シニアに所属。2年生の春には全国優勝を経験しています。

こんな野球一筋に見える藤平選手ですが、実は中学時代は陸上でも活躍。

いますよね。球技と陸上をかけもちする運動のできる中学生。

でも藤平選手の場合、その記録は群を抜いていました。

大貫中3年の時に走り高跳びで2メートル01という記録を樹立。あっさりジュニアオリンピックで優勝してしまったのです。

身体能力が高いとはいえ、練習期間わずか2ケ月。そんな選手を高校が見逃すわけはなく、60ほどの高校からスカウトが来たと言います。

これほどの数の高校が名乗りをあげたなら、いろんないい条件も提示されたでしょうが、藤平選手が選んだのは、どの高校の陸上部でもなく、名門・横浜高校野球部だったのです。

どうして、そんな選択を藤平選手はしたのでしょうか。

 

母の強い思いにこたえて

藤平選手の母親・藤平直美さんが藤平選手を産んだのは1998年9月のこと。

その年、春夏の甲子園を連覇したのは、松坂大輔投手率いる横浜高校。名門・横浜高校とは言え、甲子園を制覇することは難しく、ましてや連覇を成し遂げた高校の出現は18年ぶりのことでした。

きっと、母親の直美さんがおなかに藤平選手をかかえながら、春夏の甲子園に熱い視線を投げかけていたのかもしれません。

98年にうまれたのも何かの縁ということで、数多の陸上での誘いを断り、神奈川の名門・横浜高校野球部の門を叩いたのでした。

直美さんの気持ちも、よく理解できます。子供を妊娠していた時のことって、本当によく覚えているものです。それに、「縁」というものは、感じた人にこそ授かるもののような気がしますし。

今となっては結果論ですが、母親の直美さんのすすめはやはり間違っていなかったわけです。きっと質の高い野球環境の中に身をおくことができ、藤平選手も感謝されていると思いますよ。

 

藤平尚真の実力とは?

名門・横浜高校のエースとして、高校生最後の夏を投げきる藤平選手ですが、実は2年生の時、すでに背番号「1」を背負っていました。

しかし、2年生の時より格段に体もできあがり、スタミナもつき、フォームも安定してきているとプロサイドも太鼓判を押しています。

藤平選手の投げる球は最速152キロなんだそう。

ギリギリで球を手から放つという投法ゆえ、打つ側からすれば、実際の球の速さ以上のスピードを感じると言います。

球の種類も直球に加え、さまざまな変化球を投げこなし、高校生レベルの打者ならば連続でのヒットは難しいだろうとさえ言われている藤平選手。

残る敵は、甲子園に住むという魔物のみ。

初めての甲子園出場で、どれだけ自分の力を発揮できるかが実力の見せ所でしょうね。

どんな投球を見せてくれるのか。スタンドに母親・直美さんの姿はあるのか。

藤平選手の活躍に期待しています。

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