高須克弥の孫三姉妹の学校は南山!医師家系で女医まっしぐら!?


日本列島で相次ぐ地震災害。今回は鳥取県を震度6弱の地震が襲いました。

するとすぐに高須克弥院長が1億円の支援準備があることを公表されましたね。

さすが、高須院長!

普段は自分のことをケチと言いながら、そんな人道支援はみじんも惜しまない高須克弥院長ですが、5人のお孫さんがいます。

中でも、高須クリニック名古屋院の院長で三男の幹弥さんには3人の子供がいて、学校は南山とのこと。

幹弥さんはお嫁さんの高須英津子さんも同じドクターですので、三姉妹もゆくゆくは医師の道を選ぶのでしょうか。

江戸時代から4代続けて医師という家系を考えると、ぜひその家系を継いでほしいものですが、どんなお孫さんたちなんでしょうか。

 

高須克弥の孫の学校は南山!

高須克弥院長には、3人の息子さんがいます。

長男の力弥さん、次男の久弥さん、そして三男の幹弥さん。

三男・幹弥さんと嫁の英津子さんは、ともに名古屋院と栄院の担当ながら、全国各地から指名で診療にあたることも多いようで、とても忙しい毎日を送られているようです。

幹弥さんは三男ながら、最も克弥院長の血を濃く継いでいるように見受けるほど、美容整形の道を極め、先に進もうとしている様子がブログなどでも伝わってきます。コメントにも丁寧にこたえる様子が、美容整形という特殊な医療分野で信頼を増しているような気がします。

そして、妻の英津子さんは三姉妹の母親ということもあり、朝の弁当作りから始まり多忙な毎日のようです。

そんな夫妻には中学1年の長女、小学5年の次女、小学1年の三女と3人の娘たちがいます。

母の英津子さんのブログ、克弥院長のブログから3人の学校が見えてきます。

長女は南山中学校女子部、次女と三女は南山大学付属小学校です。

南山はキリスト教精神に基づいた教育を行う伝統ある学校ですが、小学校については第二次世界大戦下で一度廃校に追い込まれ、2007年の学園創立75年を迎えた取り組みの1つとして復活したものです。

克弥院長がブログやツイッターでプライベートなどもどんどんアップする中、かなり裕福な家庭ということは世に知れ渡っているせいか、母の英津子さんは義父の克弥院長に

「誘拐されるから、孫娘たちを公開しないよう」

と厳しく言われているらしく、3人のお孫さんたち詳細はわかりません。

ただ、院長がつい嬉しくて漏らしてしまったのが、三姉妹の次女・亜弥ちゃんのこと。

2015年の速読甲子園という大会で、小学4年生の部で2万人の中から見事1位を獲得したのです。この情報を元にたどると、名前とお顔が公開ということになってしまったのですが、でもすごいことですからね。天下の高須家の孫娘ということでいいんじゃないでしょうか。

 

孫三姉妹も将来は医者!?

高須克弥院長が生を受けた高須家は、江戸時代から続く医師の家系だそうです。

遡れば、あの本能寺の変で、命からがら明智光秀の追手を逃れて愛知県一色町に駆け込んだ徳川家康の介抱をしたのが、高須克弥院長のご先祖様だったと言いますから、まさに医師としては名門の出と言えます。

徳川家康の恩寵を受け、江戸時代に医師の家系として確固たる地位を確立したものの、時代が明治に変わり、きちんとした医師免許を持たなければ医師として認められなくなりました。そこで、高須家を担う存在になったのが、高須克弥院長の祖母「高須いま」さんでした。

いまさんは小児科医。東京医学校で医学を学び免許を取って、一色町で高須医院を開業しました。

そしていまさんの娘、つまり克弥院長の母親・登代子さんも婦人科医となり、男兄弟がいなかったこともあって、隣町から内科医の省吾さんを婿養子として迎え入れました。

しかし、その省吾さんも、克弥さんが中学1年の時に逝去。

男性がいなくなった家系で克弥院長は希望の星だったようです。

そして克弥院長は大学時代の同級生・シヅさんと結婚。シヅさんは、元々産婦人科医だったようですが、のちに克弥院長と美容外科も専門とするようになり、克弥院長の心強いパートナーでしたが、癌で65歳の時に亡くなられています。

ということで、明治時代に医師ということできちんと認められた時代から考えても、4代続けて夫婦で医者をやっている家系だそう。

そうなると、克弥院長の孫娘たちも医者になる可能性が高いですよね。

医師として頑張る父母、そして何よりボランティアにも力を注ぎ、日々情熱的に生きている「じいじ」の姿を孫達が見ることで、医師になりたいと思う気持ちを強くしてくれるといいですね。

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