なんだこれミステリー!山梨の地方病・日本住血吸虫症との長すぎた闘い
世界の何だこれ!?ミステリーで、山梨県・甲府盆地を恐怖に陥れた感染症との闘いが取り上げられます。
この感染症を引き起こしたのは「日本住血吸虫」という寄生虫。
一体どんな虫なんでしょうか。
そしてなぜ退治するまでに115年もの年月がかかってしまったのか。
今回は、地方病ともいわれる山梨を襲った日本住血吸虫症との闘いについて迫ってみます。
山梨の地方病・日本住血吸虫症
地方病とは、山梨の甲府盆地に蔓延した病。感染する確率は5割強。
感染すればお腹が膨れあがり、致死率は100%という世にも恐ろしい感染症の一番古い記録は1582年だそうです。
当時、日本は安土桃山時代。本能寺の変があった年でもあります。
当時の武将、小幡豊後守昌盛が2年の間、この病に苦しんだ末亡くなったそうです。
その後もこの病は甲府盆地ではびこり続け、時代は明治に入ります。
当時の春日居村の戸長だった田中武平太が山梨県に嘆願書を出し、やっと県の調査が入ったことで、寄生虫が原因だということが判明するのです。
しかし具体的な情報が得られないまま、犠牲者が増え続ける中、明治30年、末期症状を示していた農婦の杉山なかという女性が、自分が亡くなった後に解剖して原因を解明してくれとの献体を申し出ます。
数日後息を引き取った杉山なかの解剖が行われ、肝臓に原因があるという事実をもとに進められた検査の結果、肝臓に無数の虫の卵が発見され、それが肝臓の血管をふさいでいたのでした。
その後、甲府で開業医をしていた三上三朗と岡山医学専門学校で教授を務めていた桂田富士郎が、同じような症状が発症したネコの解剖を行い、32匹もの虫を発見します。1904年のことでした。
この時「日本住血吸虫」と名付けられた寄生虫こそ、甲府の人たちを長い間苦しめてきた犯人だったのです。
犯人は見つかっても…
当時、寄生虫は水を飲むことで感染するという考え方が一般的でしたが、この日本住血吸虫は、その常識が通用しない相手でした。
ホタルを捕まえに水に入っても、田んぼで農作業をするだけでも感染してしまっていたのです。
そして重ねられた研究の結果、皮膚を破って入り込んだ寄生虫が体内に卵を産み、それが便と一緒に川に流れ、そこで孵化するということがわかってきます。
しかし、いくらそんな寄生虫でも、孵化したての虫はすぐに死んでしまいます。なのに、なぜ人間や動物に寄生できるのか。
その手助けをする生き物がいたのです。
それがミヤイリガイという新種の貝でした。
水中だけでなく、陸の上でも生きられるこの貝は恐ろしく生命力が強く、草むらや屋根などにも生息するつわもので、水に入らなくても、濡れた草むらを歩くだけで感染する可能性がありました。
長い間、甲府の人たちを苦しめてきたこの敵の助っ人を、村人たちも必死で駆除し続け、そのうち生石灰をかけることでミヤイリガイが死滅することが判明します。
昭和60年には川もコンクリート化され、また家庭で使われる合成洗剤などの普及もあって、憎き貝は姿を消すこととなりました。
地方病との長すぎた闘い
地方病の終息宣言が出たのは1995年のこと。
わかっているだけでも400年ほどの間、甲府の人たちを苦しめてきた日本住血吸虫症。
つい最近までこのような症状に苦しんできた人たちがいたのかと思うととても怖いですね。
現在でも、日本の各研究機関でミヤイリガイと日本住血吸虫が生きたまま育てられ、万が一またそのような事態が起きた場合のため備えられているそうです。
しかし、もし外国から無断で持ち込まれる動物などがあれば、いつまたこのような感染症が流行するかわかりません。
現代の医療技術をもってすれば、1つの病気の解明に数百年もかかることはないのでしょうが、そんな事態はなるべく避けたいもの。
地方病の歴史などをもっと人々が知ることで、そんな事態も防ぐことができるのかもしれません。
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