クレイ勇輝は本名!彼女なしの理由はイタいが海の家にかける思いがかっこいい


「泣きたくて 笑いたくて…」と韻を踏んだ歌詞が大ヒットしたキマグレンの「LIFE」。10年の活動を経て2015年に解散しましたが、メンバーの1人・クレイ勇輝さんは今でもイベントや音楽のビジネスで大忙しなんだそうです。

歌ばかりに目が行って、メンバーに注目したことがありませんでしたが、調べてみると、クレイ勇輝さんは何とも興味深い人物。

「クレイ」という名前も気になりますが、本名も気になりますし、いい年頃だけど結婚していないようで、彼女がいないのかも気になります。

海の家経営で借金をするなど、実は波乱万丈な人生を送ってきたというクレイ勇輝さんに、今回は迫ってみます。

 

クレイ勇輝の本名とこれまで

クレイ勇輝さんの本名は、漢字で書くと「榑井 勇輝」さん。クレイはそのまんま苗字だったんですね。

珍しい苗字ですが、「榑」は皮のついたままの材木のことだそうです。

北海道や新潟に多い苗字のようですが、クレイ勇輝さんの出身も新潟県

1980年7月に新潟で生まれ、3歳の頃に神奈川県逗子に引っ越しをされています。

そして5歳でカナダへ引っ越し。母親が元CAということでその母に連れられる形での移住だったようです。

10歳で日本に戻ってきたものの、14歳の時にはタスマニアへ短期留学をされています。

大学は、父親のすすめもありニューヨークのシラキュース大学へ進まれますが、スポーツ医学が学びたいという理由と、厨子生まれのクレイさんは海が恋しいということで、ハワイ大学に編入されます。

そして22歳でまた帰国。本格的に歌手になることを夢見て、クレイさんが着手したのが厨子での海の家のライブハウスの経営でした。

しかし事業はそう簡単には行くはずもなく、7000万円の借金を背負うことになります。

それでも根気よく海の家での夏のライブを続けたクレイさん。

開催から4年目には「LIFE」も大ヒットしますが、開催から9年で厨子の海の家はクローズすることに。理由は、若者たちが多く海辺に集うことで治安・風紀が乱れたことにより、規制が行われたからでした。

しかし、それでもめげなかったクレイさん。

翌年、場所を鎌倉は由比ガ浜に移し、海の家をオープンします。

毎年夏のライブ活動はその後も続けられ、現在に至っています。

 

クレイ勇輝に彼女ができない理由

これまでのさまざまな人生経験をいかし、学校で講師として、コミュニケーション力や時間の使い方などを教えることもあるというクレイ勇輝さん。

特に時間を大切にしたいという考えにはこだわりがあるようで、1日のうち1時間の打ち合わせを何回も入れ、お風呂に入りながらiPadでニュースを見たり、1つのパソコンで動画を3つ同時に見ながら別のパソコンでメールを見るなど、1分1秒を惜しむような生活を送っているそう。

なので、付き合っている彼女がいる場合でも、3分待たせられただけで帰ってしまったり、デートの食事も10分以内に食べ終わりたいので基本ファストフードなんだとか。

すごい徹底ぶりですが、食事をしながらおしゃべりしていて、彼女の箸を持つ手が止まっていると早く食べるように促すと言いますから、これでは彼女ができても長続きできないでしょうね。

1日が24時間では足りない、人生1度きりだから時間を大切にしたいという考えは、よ~く理解できますが、恋を楽しむのも人生の一義だと思います。

時間を忘れさせるほどの相手が見つかるといいですね。

 

海の家の失敗も成功への一歩だった

生活スタイルを細かく見ると、ちょっと引いてしまう部分もたくさんあるクレイ勇輝さんですが、いろんなことに興味を持って、積極的に取り組む姿は男性としてとてもかっこいいと思います。

やや天然だという元CAの母親と厳格すぎる航空関係の仕事の父親のもとで育ち、世界のいろんなものを見る環境で育ってきたクレイさんですから、好奇心旺盛な男性になったこともうなずけますね。

32歳でプロボクシングのライセンスを取得したり、上場企業の役員としてビジネスに励んだりと、これまでのしぐしりはたくさんあったにしても、とても充実した年齢を重ねて来られているような気がします。

個人的には、安全なところで足踏みしている男性よりクレイさんのようなグイグイ行く男に魅力を感じますね。今後の活躍にもぜひ注目したいと思います。

でも、デートに遅刻はできないな~。

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