南谷真鈴とシェルパとの出会い!滑落や遭難にも負けなかった理由とは
現役大学生で冒険家の南谷真鈴さん。
世界7大陸の最高峰を日本人最年少で登頂に成功した南谷さんが山に登るようになったのは、世界最年少でエベレストに登頂成功したニムドマ・シェルパさんの影響でした。
まだ大学2年生の南谷さんですが、過去は滑落や遭難の経験もあるとか。
それでも南谷さんが挑み続けるのには、どんな理由があるのでしょうか。
南谷真鈴のプロフィール
【本名】南谷真鈴(みなみや まりん)
【生年月日】1996年12月20日
【出身地】神奈川県川崎市
2015年1月アコンカグア(南米、6,960m)
7月キリマンジャロ(南アフリカ・5,895m)
12月コジオスコ(オーストラリア・2,228m)
2016年1月ヴィンソン・マシフ(4,892m)
3月エルブルス(ヨーロッパ・5,642m)
5月エベレスト(アジア・8,848m)
7月デナリ(北米・6,190m)
の7大陸の最高峰を19歳で制覇。日本人女性としては1992年の田部井淳子さん以来2人目だが最年少記録。
南谷真鈴とシェルパとの出会い
現在、早稲田大学政治経済学部2年の南谷真鈴さん。
父親の転勤の関係で、1歳半の時からマレーシアで生活をします。
その後、上海や香港での海外生活が続いたそうですが、12歳の時、ニムドマ・シェルパさんがエベレスト登頂を果たしたという記事を新聞で読んだそうです。
ニムドマ・シェルパさんはその時17歳。これは世界女性の最年少記録でした。
貧しいネパールの農村に生まれたニムドマ・シェルパさんは、国連の支援を受けながら学校で学び、たった1年の訓練の末、エベレストに挑戦する機会を得て、見事成功したわけです。
そして南谷さんが登山と出会ったのは中2の時。
当時、香港で暮らし始めたばかりで、香港の林立するビル群と隣あう山々を登りはじめたそう。
中2女子と言えば、思春期真っ只中。幼い頃から海外生活に慣れているとは言え、いろいろと思い悩むこともあり、山に登ることで自分と向かい合うことができたと言います。
普通の中学生なら、ニムドマさんの記事を読んで「へ~、すごいな」ぐらいで終わるのでしょうが、幼い頃からの海外生活の環境と元々の南谷さんの前向きな考え方が見事に合致し、登山という道の中ですばらしい功績を日本人残すこととなったんでしょうね。
滑落や遭難の経験
現在、大学2年生の南谷さんですが、高校3年の春休みに滑落の経験をされたそう。
場所は、長野県・阿弥陀岳。
八ヶ岳連峰に位置するこの山を登山中、足にまとわりついたロープを外そうとした時、あやまって斜面を滑落してしまいました。
250mほどの距離を転がり落ちたにもかかわらず、命に別状はなく、20時間ほど遭難した状態だったようですが、無事生還されます。
南アメリカの最高峰・アコンカグアの登頂に成功し、その直後だっただけに、油断があったわけではないでしょうが、それ以降、南谷さんはより慎重に山に挑むようになったそうです。
下手をすれば、恐怖に襲われて、登山の道も諦めかねないところでしょうが、この阿弥陀岳での滑落・遭難という経験があったからこそ、7大陸の山々を制覇できたのかもしれません。
世界の山々をこの数年かけてめぐる中で、南谷さんはこう感じたそう。
「家でも学校でも、いつも他人に変化を求めるのではなく、自分が変わることで成長していかないといけない。そのことに気づかせてくれたのが山登りだったんです。
その時から、常に自己成長のために努力できるようになり、「人生の競争相手は自分だけ」と実感するようになったんです。」
私たちは、山登りですごい記録を打ち立てたのが女子大生だ、というところに目が行きがちですが、南谷さんにとっては山登りは自己を成長させるためのひとつの手段。
それがわかっているからこそ、滑落や遭難をしかけても、強く前に進めたんでしょうね。
山登りの資金は親から!?
幼い頃から海外生活を送ってきたことからもわかるように、ご実家もわりと裕福なご家庭だということはわかる南谷さん。
でも、今回の7大陸最高峰への挑戦については、一切、親の援助を受けなかったと言います。
では、その資金はどう工面していたのか。
エベレストの場合だと、数百万円はかかると言われていますが、これをすべて南谷さんは自力でスポンサーや支援してくれる人を探し回ったそうです。
海外の学校では、いろんな行事をする時に子供たちが自分たちでPR活動をすることで資金を集めますが、そんな経験をしていたこともあった南谷さん。
日本で女子高生をしながら、それも受験勉強真っ只中に、いろんな企業に電話やメールでお願いをしまくっていたと言いますから、そのパワーも南谷さんの一つの武器なんでしょうね。
南谷真鈴の未来展望が明るすぎる!!
次なる南谷さんの目標は、北極点。でも、その先の南谷さんの目的は
「もっと人間の間での共感性を増やす仕事に就きたい。」
ということ。
登山の世界だけにとどまらず、今度は海の上でも世界1周などにチャレンジし、立ち寄った世界のあちこちの子供たちに、熱意があればどんな夢もかなえられるということを伝えたいと言います。
確かに、そんな希望にあふれる子供たちが増えれば、未来は明るいですよね。
前に向かって進む子供たちは、自分を否定することはしないでしょうし、そんな子たちは他人を認めることができると思います。
そうすれば、他人を共感できる人がどんどん増えていくんじゃないでしょうか。
本当に素敵な女性ですね。南谷さんに続くような子供が出てくると日本の未来もさらに明るいかもしれません。
幸いなことに、つい最近南谷真鈴さんと隣り合わせで話し、また翌日の講演(早稲田大学台湾事務所主催の地域フォーラム)で彼女の話を聞きました。
自分も40数年前17歳の時、阿弥陀岳で表層雪崩にあった経験があり、彼女の阿弥陀岳での遭難と奇妙な共感を覚えました。
現在20歳の彼女は、エベレストにも登ったわけで、時代の差があるもののこのような大志をもって突き進む考え方は、当時の自分では想像もつかない非常に立派なものです。
彼女がこのような方向に向かったのは、勿論個人の性格、家庭での影響もあるでしょうが、やはり異なる文化背景をもった学生が集まる香港の国際学校での経験が大きく影響していると思います。
日本で育ったら、おそらく他との同化でおそらくエベレストに登ろうとは思わなかったのではないかと思います。他人と違うことが悪いという考えが、日本の社会や教育の中にあるように思えます。異なる思考や文化との接触は、新しいものを生み出すための原動力です。