加藤和也が実母・阿部静子から離れた理由は父親のかとう哲也だった


2017年5月29日、故・美空ひばりさんが生きていたら、80歳のお誕生日だったそうです。

昭和の時代を代表する歌手・美空ひばりさんですが、今でもその素晴らしさを伝えつづけているのが、息子の加藤和也さん。

多くの方が知っているように、和也さんは美空ひばりさんの実の息子ではありません。

和也さんの実母は、阿部静子さん。ひばりさんの義理の妹になります。

6歳でひばりさんの養子となった加藤和也さんですが、そうなった理由は、和也さんの父親であり、ひばりさんの弟・かとう哲也さんの存在にあったようです。

加藤和也の実母は阿部静子だった

加藤和也さんが生まれたのは、1971年8月。

美空ひばりさんの実弟・かとう哲也さんの長男として生を受けました。

かとう哲也さんは、ひばりさん同様、歌手として活動しており、曲を作る才能は折り紙付きで、代表曲「人生一路」はひばりさんも好んで歌っていたと言います。

かとう哲也さんは、1969年に歌手の円山鈴子さんと結婚するものの一年もしないうちに離婚。その後、ホステスをしていた阿部静子さんとの間にできたのが、加藤和也さんだったわけです。

しかし、かとう哲也さんと阿部静子さんは、加藤さんが生まれてすぐに離婚。

円山さんとの離婚も、阿部静子さんとの離婚も、その理由は明らかになっていませんが、かとう哲也さんが歌手の他に持っていた、もう一つの顔が理由だったのかもしれません。

加藤和也がひばりの息子になった理由

加藤和也さんが生まれた翌年、父親のかとう哲也さんが逮捕されてしまいました。

残念ながら、これは初めての逮捕ではありませんでした。

美空ひばりさんは、1962年に小林旭さんと結婚されましたがほどなく離婚され、その後、何らかの形で子供に恵まれることもありませんでした。

元々子供が欲しかったこともあったようで、弟の逮捕により、甥っ子である和也さんを引き取ることを決めたのだそうです。

和也さんは、ひばりさんの家にはそれまでも頻繁に訪れており、何のわだかまりもなく新しい生活がスタートしたようですが、6歳で養子となり、幼い頃は年間200日ほど、ひばりさんの巡業について回っていたと言います。

ほとんど自宅にいることのないひばりさんだったようですが、家にいる時は和也さんのことを溺愛されていたようで、インベーダーゲームに夢中になっていた和也さんにゲーム機本体を買ってあげたというエピソードもテレビで披露されていましたね。

ひばりさんも、歌うという自分の天命と、実子ではなくともかわいい息子の間で、苦しい気持ちを抱えていたのかもしれません。

和也さん本人も、やはり寂しさが心の中にあり、グレることでその気持ちを表現していたのだそうです。

普通の親子でも難しい子供の思春期。ひばりさんも和也さんもお互い苦しい時期だったと思います。

加藤和也は嫁と二人三脚でひばりの意思を継ぐ

ひばりさんが「両側大腿骨骨頭壊死」という病を発症し、歌うことが困難になり療養しながらも、最後は特発性間質性肺炎で亡くなるまで、この頃には加藤和也さんもしっかりとひばりさんを支えられる存在になっていたようです。

しかし、ひばりさんが亡くなったとき、まだ18歳だった和也さん。

後を継ぐ覚悟を生前のひばりさんに告げはしたものの、きっと不安だらけだったのではないかと思います。

しかし、今は嫁の有香さんと力をあわせ、ひばりさん亡き後の会社をしっかりと経営されています。

その経営手腕には定評のある加藤和也さんですが、何か迷った時には、ひばりさんならどうするか、父親ならどうするか、そしてひばりさんのプロデュースを行っていたという祖母ならどうするか、と考えるのだそう。

これはさながら家族会議のようだそうで、そういう考え方が、ひばりさんが亡くなって30年近くが経とうとしている今も、ひばりさんが語り継がれている理由なのかもしれませんね。

和也さんには、これからもずっとひばりさんの素晴らしさを伝えて続けてほしいですね。

そして改めて、ひばりさんのご冥福をお祈りしたい思います。

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